ここまで話を進めてきて…さて、
精神科における
「診断名」。
(・・・そして、「診断名」からのリカバリー)
「診断名」
…それに、もし意味があるとしたらならば、
それは、自分自身の自己理解のため。
僕が自分を理解するのに役に立つかも(?)という、それだと思います。
そして、他人が僕を理解するのには役に立たないって僕は思いますが、みなさんはどうでしょう?
なぜなら…僕は、
「人は、それを持つものとしてあるのではなく、
それにどう向き合っているか、
どうそれを活かしているかという行為者として存在している」
って思っているからのですが、
皆さんは、
人がどんなものとして存在しているって考えているのでしょうか?
・・・
かつての僕は、症状きついし、一人は嫌だったから…診断名で医療や福祉に自分を明け渡していたって思うけど、もうそれは嫌なんです。もうそれは、無理なんです。僕は僕の人生を生きていく。そして、自分が選んだ気の合う人と、世界を同じに出来る人と、物語を共創して生きていくことにしたのです。
・・・
リカバリー。
僕がリカバリーしたのは、物語の書き手の視点。
語っていいんだという、語り手の位置。
そして、そこに自分が居ていいんだという確信だと思います。
頭が勝手に変なところに行ったとしても、
また語り手の位置に戻れるっていうことが、僕にとってはリカバリー。
それは、制度や、診断基準に飲まれないということでもあったと今はわかります。
・・・
僕は、自分の人生を生きたいって思います。
・・・
(この台風が…)テロであろうが、自然災害であろうが…
(僕が…)障害者であろうが、
健常者であろうが…
僕は、
“自分好みの物語”を生きたいって思います!
物語の内容がなんであれ…
どんなトーンがいいだろう?
どんなムードがいいだろう??
それは、僕が決められる
台風の夜に
増川ねてる
皆さんは、どうですか?