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第二回
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飛行機、好きだなぁ…
って思います。
でも、僕は、33歳まで飛行機に乗ったことはありませんでした。31歳(もしかしたら30歳?)で生活保護を受給になりましたから、飛行機になんて一生乗ることないんだろうなって思っていました(生活保護を受けるようになってからは、行動も制限されましたし、20代のころ好きだった新宿という町にも(僕のアパートは千葉県市川市で新宿へは1時間くらい電車でかかります)行かなくなったし、友人に紹介して貰った「いい歯医者さん」にも住まいと違うところにある歯医者さんのため行くことが出来ないという状況にいました…)。
それが今、一人で国際線のチケットと手配して、一人で飛行機に乗っている…。
あの頃の自分に言いたいのは…
「あきらめないでくれてありがとね!」
おかげで今僕は、アメリカにだって一人で行って帰ってくることが出来るようになっている。「友だち」と呼べる人がいて、「Brother!」って言ってくれる人がいる…。ほんと、ありがとう。あの苦しかった時に諦めないでいてくれて。
そして、僕はずっといるよ。あの苦しかった日々を一緒に耐えていた君と。僕はずっと一緒に進んでいくよ。共に、ずっと見たかったものを見にいこう。どこまでも、旅を続けていこう!!
・・・
思い起こせば不思議なもので、
今回(2019年8月)の旅は、僕が本格的に「リカバリー」っていう言葉を意識した、2006年に出会った僕のヒロイン・Jeanie-Sanに会いに行く旅でもあったんでした。2006年、僕が通っていた施設では、「アメリカから人がやって来て講演会をする、その受け入れ先の一つが僕らの施設になっていて、その講演をする一団の中に“当事者”の人が一人いて、僕らの施設は「クラブハウス」だから、「当事者同士」の交流をしよう!」そんな話になったんだと思います。そして、その人が、ジーニーさんで(当時僕は、すでに「ねてる」だったのですが、アメリカの人だというので、名前を「Sleepy」って名札に書いてて、だからジーニーさんは今も僕を「Sleepy-San」って呼ぶんです。他のアメリカの友人は、僕を「Neteru」って呼ぶ中でも、「Sleepy-San」。それが、僕には心地いい)、
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がんばなくってもいいけれど、どうせがんばんなっくってはいけないんだ
(…文章を書いていて、ちょっと疲れたなぁと思っていると上の文章が浮かんできました。折角なのでと思って開いてあったパソコンに打ちました。こんな風にして僕の日常は、突然、“夢”…それは今みたいに文字だけのこともありますが…夢が突然やってくるようになっています)
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(そして、今、シカゴから飛行機乗り換えたところ)
話しをしていたのは、ジーニーさんのことでしたね。
2006年。僕は、ジーニーさんに出会いました。当事者活動を“プロフェッショナルとして”行っている!人として。そして、それはおっきな出来事でした。
「当事者活動」で食べていきたい! 強く思うようになっていた僕に、実際にそれをやっている人がいる!! その人に会えるんだ!!
おっきな期待を持ちました。そして、会ってからは、、覚えています。その講演が終わった後、次の会場に向かう道を僕はジーニーさんの右側を歩き、聞いたのです。
「どうしたら、ピアサポーターとして“食べれるようになる”んですが?
どうしたら、この「活動」を仕事にすることができるでしょうか??」
その頃だったんだと思います。「ピアサポート」という「言葉」を知ったのも。
そんな初めて出会った“プロの”ピアサポーターに僕は、“プロの”ピアサポーターになってから初めて会いに行きました。研修を受けるために。
そして、思ったのは(これは、この文章を書いていて思ったことです。この文章を書くまでは思ってもいなかったことです…が…)
なんの気負いもなかったな。
ということです。
僕たちは(…或いは僕は)ごく普通に、「ジーニーさん」「スリーピーさん」と挨拶を交わしていたのです。「How are you doing」とかは、言ったかも知れませんが、ほんと、自然な再会。きっと10年と会っていなかったから、僕はお腹がその出ちゃったし、いろいろ変わったのですが、あっという間に時間は繋がり…僕たちはそこにいたのです。
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そして、「リカバリー」
僕が、あらためて思うのは、あのジーニーさんと歩いたあの道が、
「“プロの”ピアサポーターに僕はなりたいんです! どうしたらなれますか?」
と、相談をしたあの時が、僕にとっておっきな瞬間!!
さて、今の今、
みなさんが“これやりたい!”って思っている《仕事》って何ですか?
憧れている《職業》ってありますか?
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僕はそれが、「ピアサポーター」。
なんとしてもなりたかったです。そして、“実際に”会えた! っていうことが、決定的。
僕もなりたい!! なれるはず!
だって実際にいたんだから。
そういう人が、いるんだから。ってそれが全てだったと思います。
・・・それからいろいろあったし、時間は必要だったけど、今こうしてピアサポーターをやっています。諦めなくてよかったって思います。
そして、いつか僕が“あの時のジーニーさん”にいつか僕がなれたらいいなって思います。
ピアサポーター、いい仕事ですよ。
僕はとても好きな仕事です!