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第三回
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「ピアサポート」
ピアサポートが僕は好きです。
どうしてかっていうと…「上下」がないから。
僕は、生来、
「上下」が好きではありません。
怖い感じがするのです。
落ち着いていられないし、疲れるし…。そして、“怖い”感じがするんです。
「神さま」(…なんて言っていいかわからないので「神様」って使いますが、そういう絶対的な…僕もその中に含まれていて、とっても安心して、とっても力をくれるという存在)は別として、すべての人が“平等”に(対等に)、やり取りができるっていうのが、僕は好きです。
なので、
「ピアサポート」っていうのに出会った時、本当によかったんです。誰もが、対等な“1経験者”として尊重しあっている関係…。僕にはとっても安心で、とっても有意味で、とても好き。こんな関係性があったんだ…
とても、嬉しかったし、ほっとしました。
僕は僕でいていいんだ。
僕は、僕の経験をそのまま語ってもいいんだ。そのまま経験を語っても、それに疑問を持たれることはないし、そのままちゃんと聞いて貰えて…。そして、僕も相手の人の言うことがわかる!!!
それは、これまで「相手にわかって貰えるようにしないといけない。そのためには、相手の言葉で伝えないといけない。もし、そうでなく(自分の言葉で語ったならば)一度したなら、僕の感じていることは相手に伝わらずちゃんと“記述してくれない”、つまり本当のところから“ズレて”します。だから、ズレナイために、相手の言葉で伝えないといけない…と思うようになっていた僕には、衝撃的…というか、とてもほっとする経験だったのです。同じような経験を持った「当事者」同士の会話というものは…
「俺も、そういうことがあったから、わかるよ」
本当に、救われました。
「そういうこともあるのかも知れません。そういう事例もあるにはあります」
「でも、あなたが実際にそうなのかは、わかりません。あまり、気になさらない方がよいように思います」
「私には、経験がないのでわかりません。でも、多くの方がこの薬でよくなりました、と言われていますよ」
「あなただけを特別扱いは出来ないんです。あなたの経験はあなたにとっては辛いことかも知れませんが、そういう方は他にもいらっしゃいまして、、みなさんそれで納得されています。」
…みなさん、って一体誰のことだったのか、未だわからず、
実際に、「経験」している人の声は僕のところにはやって来ず…
体験していない人の考え方と、体験していない人がいう「体験している人」が言っているという話しだけを聞いていた僕にとって、“実際に”体験をしている人と、《話し合える》というのは、本当に大きかった。
どうしているの? 実際は。
どんな感覚だろうかね、本当は?
体験しているからこその「対等」
思い込みや、どこかで聞いてきたことからの推測での判断ではない共感・共有。
そこから、見えていく実際のところ。
ピアサポートが、僕は好きです。
してきた経験の、何も疑義を挟まれず、「ああ、そういうことがあったんだね。そういうことを感じたんだね。…わかるよ、それ。実は、俺もさ…」 言えること。言って貰えること…。
僕はとても心地よく思います。 そして、今、そのような会話(…言ったことに、何かの疑義を挟まれることなく、その人の「経験として」やり取りしていく種類の会話)に慣れたいま、 ああ、こう言ったら違う用に伝わるな…、そういう意味で言ったいるんじゃないけどな…となってしまう類の会話…それを僕は今、ちょっと苦手になっています。それが、「上から目線」やられると尚更。
でも、また少し世界が広がって、そういう会話もあるよな… 思い出しても来ています。そして、それがあるっても知っていて…。
きっとそれが、「効率性」を高めたんだし、そのための発言力を高めるために、多くの人が競争をして、社会的な地位を上げてきた…。そんなストーリーもわかりはしますが…
僕は、やっぱり「ピアサポート」が好きで、 そこにある、経験からの眼差しが、生きた人のあったかさとして伝わってくるし、
…そうなんです。 人としてそこに存在が出来ていくのがいいんです。
そして! メンタルヘルス。
人の「こころ」や「精神」の領域においては、 誰しもが自分の専門家。 ピアサポートが役に立つって思っています!
みなさんは、どうですか?
経験者に知恵を聞きたい!! そんな気持ちになるときないですか?
もしそんな気持ちになった時には、ピアサポーターを探してみることがお勧めです!
実体験からの知恵がそこには、存在します。