「そんなわけないでしょ」
それが、家人の返答でした。
そして、僕も、そうだよね。
ちょっと空想じみた話だよね…
思いました。
思いましたが、その一方で、でもこれはどこかの国家が技術の粋を集めて実行に移されたテロっていうことを着想した自分ってやるな…、たいていの世界の真相何ていうものは、その時の多くの人は知らないで、大分時間が経って「言える時」がやって来たときに明かされるものなんだっても思った次第。
そして今、
このブログに書いている僕が確かにここに存在します。
…“この着想を、僕は得た”を知って欲しい、
そんな想いが心の底にあるようです。
僕は。僕には…
でもこの欲求への考察は今は脇に置くとして、
「“この着想を、僕は得た”を知って欲しい、そんな想いから起きているこの「アイデア」」は、
空想なのか、妄想なのか、
…治療の必要があることなのか、ないことなのか?
頭は、仕事に関連した尺度で自分を測り始めていきます。
子どもの頃僕は、
自分にウルトラマンが入っていると思ってました。
10代の後半からは中原中也が僕の対話の相手でしたし、
30過ぎは「当事者活動」「ピアサポート」こそが、世界を救うって思うようになりました。
「精神障害者」というスクリプトを生きていたこともありましたしその時は、それを中心に世界を僕は観てました。今はちょっと違います…
さて、
「妄想」っていうのは、なんでしょう?
〝治療対象〟って、なんなのでしょう?
(つづく)