1. HOME
  2. 増川ねてるさんブログ
  3. 対談掲載中『ライフあるいは精神科医療は何を発見してきたのか』

対談掲載中『ライフあるいは精神科医療は何を発見してきたのか』 | 増川ねてるさんブログ

池田(光愛会): さて、今回のテーマにたどり着いた経緯は、私とねてるさんで行ったダイアログ。そこで行き着いたものが、この『在宅無限大』ということでした。コロナ禍の状況があって、私たちは、この間、生きる、あるいは、死というものについて、あらためて考える機会が増えているのではないでしょうか。そんなことを、ねてるさんと光愛会の私たちといったところに引きつけて考えると、今、精神科医療、福祉が再発見していること。この時代を生きるというテーマにたどり着きました。そして、村上先生の哲学が「ライフ」に関わるということを、ねてるさんを通じてお聞きしております。ではここからは、ねてるさんにお任せさせていただきまして。あらためて村上先生に問いを立てていただき、そこからはここでしか生まれないダイアログを行っていただきます。それでは、ねてるさん、どうぞよろしくお願いいたします。村上先生、どうぞよろしくお願いします。

村上:よろしくお願いします。

増川:よろしくお願いします。今、精神科医療と福祉がですね。「再発見」もしかしたら「発見」かもしれないなとも思っているんですけども。再発見しているものっていうのが、話してみたいなって思っていました。

村上:この1年のことと、この10年でちょっと違うかなって。ですよね。この1年でコロナで僕らが経験したことって、この10年、頑張って積み上げてきたことの逆というか。難しくなってしまった、この10年、20年、頑張ってきたことが難しくなっちゃった1年だったと思うので、ちょっとそれを分けてというか、どっちで話をするかなっていうこともあるかなとちょっと思ってきました。

増川:確かに違いますよね。つながりや接触っていうものを求めてきた10年があり。

村上:そうなんですよね。だから、この10年間、20年間、ねてるさんはその代表するお一人だと思うんですけれども。僕らが頑張ってきた、僕らというか、皆さんが頑張ってきた地域の中でつながっていく。その当事者の方たちが、声を出してピアでつながっていく、対話の場をつくっていくっていうようなのが、この20年のざくっというと動きなのかなと思うんですけど。
それがこの1年間すごく難しくなってしまったかなと思うんで。
多分、やっぱりこの20年っていうか、ここ何年かの流れで精神科医療は何を発見したのかって考えていくってほうがいいのかな。

増川:どこからいきますかね。その。

村上:どこからいきましょうかね。なんか僕はねてるさんと池田さんに宿題をいただいて考えていたことは、まずテーマとしては、対話の文化とピアの文化をつくり始めてきたことのインパクトをどういうふうに。その内実は何だったのかを考えていくってふうなところが、出発点にはなるのかなって今、ちょっと思って、今日やってきました。

増川:なるほど。分かりました。そうしたら、どうしましょうね。問題意識。今からちょっと始めてもいいですか。

村上:もちろん。

増川:ありがとうございます。コロナが僕にとって、本当に大変なインパクトがありまして。調子を崩したんですよね。本当に移動しているだけで、『もしかしたら自分がコロナウイルスを運んでいるんじゃないか』とか思うようになったし。そのことでずっと見張られているっていう感覚が出てきたりだとか。どうにもならなくなり、最終的には空気の中にコロナウイルスが見えるみたいな感じになってしまって、動けなくなったっていうのが去年の春から夏ぐらいにかけてなんですけども。思ったのは、それまでは人とつながって話をして、その関係性の中で意味を立ち上げて、僕らの人生って何だろうとかやっていたんですけれども、それが通じない、風(ふう)に思うようになったんですよ。これはもしかしたら、極端に僕の神経が反応しただけかもしれないんだけれども。
でも僕の世界の中では、対話が通じない状況。そして人とつながっているってことが、むしろ脅威になってしまう。誰かに迷惑を掛けてしまうとか、迷惑を掛けた人から責められるんじゃないかとか。つながりが脅威になってしまったというのが起きたんですよね。

村上:なるほど。

増川:はい。これはなんかこれまでやってきたものが通用しないどころか、裏目に出てしまうっていうか。

村上:なるほどな。そこまでは僕、考えていませんでした。なるほど。脅威になる。

増川:なので、村上先生、この10年と、この1年を分けてくれたので今、思考が働き始めたんですけども。

村上:そうですね。だから、真逆になってるってことですね。この10年と、この1年が。

増川:そうですね。これまでのものが、むしろ逆に作用することが起きてしまいましたね。でも、それが1年たって今、思うのは、もう一回つながりとか物語に関して、一歩、立ち止まって考えることができる機会はもらったとは思うんですよね。これ、良かったかなと思いますね。つながりを求めていた、もしくはつながりで物語は立ち上がっているんだけれども。もしかしたら、その物語のスピードに僕自身がついていけなくなるっていうことが起きていたかもしれないですね。




#管理と精神科医療

増川:そうですね。今、そして村上先生からもらったキーワードとしては、監視とか管理っていうのを今、受け取ったんですけども。この監視・管理についての経験の違いであるように思いました。
何かっていうと自分が働けなくなって、精神障害者の手帳をとって、生活保護を受けるようになったのが、僕の30歳ぐらいの頃なんですけども、管理があったんですよね。それはどんな頃だったかというと、例えば、僕、歯が弱かったんですけれども。知り合いの人に、「ここの歯医者さんがいいよ」って教えてもらった歯医者さんがあるんだけれども、隣の町だから生保の医療券で行けないんですよ。生活保護費でもらったお金を何に使うかも、通帳コピーを役所に出したりとかしてたり、あと、服薬管理もそうですよね。ちゃんと薬、飲んだかどうかとか。その手帳を持つようになってから、生活保護を受けていたときは、この世界に自分はいて、町でワーカーさんがどう見ているかとか、自分は精神障害者として振る舞っているんだろうかとか、手帳の更新時期、年金の更新時期には、それをどのくらいの等級なのかっていうのを主治医に評価してもらって、それをまた役所に提出して、手帳の等級が決まったり、年金の等級が決まったりっていうのがあったので。常にこれによることが思い出したんですよね。もしかしたら、そのときのトラウマみたいなのがあって、常に私は観察されていて、人がどう観察して評価したかを役所に提出することによって自分の生活費が決まるとか。そこがあったので、なんかもしかしたらコロナも監視されているとか、もしも自分が誰かにうつしちゃったら、とんでもないことになるという思いが強かったのかもしれないですね。

村上:うん。今のねてるさんのお話、聞いていて、管理が内面化されているっていう感じに聞こえましたね。

増川:そうですね。

村上:だから、自分で自分のことを縛りつけちゃってんですよね。人から押し付けられるだけじゃなくて、自分で自分の生活をコントロールしようと、それに合わせて、多分お役所の言ってることに合わせてコントロールして、それらしく適合するように振る舞おうとされていた。

増川:そうですね。ここにどう映るかが結構、自分の生活を決めていったりしていた時期があったので。そうですね。これが内面化というか、内在化っていうんですか、されている可能性がありますね。

村上:ねえ。それつらいですよね。誰もが多かれ少なかれ持っていると思うけど。すごいしんどい状態ですよね。それってね。

増川:そうですね。あのときのその体験が、今回のコロナも同じように。本当は今はそうじゃない。今は生活保護は返していて、年金も返したりしているんで、そんなことないはずなんだけれども。あのときの内面化、内在化されている可能性が出てきましたね。

村上:今回は、かつてのことと別に本当にコロナで、なんか社会規範、自粛警察みたいな。あれもそうですよね。社会規範が外からやってくるんだけど、それをなんか自分で自分を押さえつける道具になっちゃっているところはありましたよね。

増川:そうですね。

村上:苦しくなっちゃうことは確かにある。

増川:はい。そこで、この『在宅無限大』をまた、読んで。「病院では患者が同じように見えてくる」これはなんか大きい話かなと思った。

村上:そうですね。

増川:だから、コロナもそうだったと思うんですよ。他県ナンバーとかみんな同じに見えちゃったりとか。医療者も患者も同じに見えるっていうか。

村上:医療者は同じに見えるし、患者さんもみんな同じに見える。呼吸器つけて、あるいはマスクしてて、全部、名前も分からない。名前も分からないような感じで医療で治療しなきゃいけないですよね。だからどっちも分かんない。名前を失っちゃいますよね。僕らね。

#診断がついて病気と自分を切り離すことができたけれど、やがて病気と自分がイコールになる

増川:そうですね。だから自分の。コロナ一回、置いておいて、精神科医療、僕が最初に精神科のクリニックに通い始めたのは19歳の頃なんですけども。だから、今から30年近く前になりますけど。病気だって分かったときに起きたことのちょっと話をしたいんですけども。
病気だって分かったときに、それまで個人の苦しみというか、人類の中で僕だけに起きたんじゃないかと思っていたことが、他にもそういう人いたんだと思ったら、すごい楽になったんですよね。つまり個別の問題から、ちょっと切り離すことができたので、自分だけじゃないんだっていうのは、すごい楽で救われたんですけどね。
でもその後、やがてその病気と自分がイコールになっていくっていうか、同じになっちゃっているところで苦しくなっていった。

村上:なるほど。そうか。だから良いことと悪いことがあったんですね。

増川:そうですね。

村上:だから一方では、個別の問題、1人で悩んでいたのが、ピアを発見した。仲間を発見したっていうことですね。でも、ところが他方では、自分が病名になっちゃうっていう。

増川:そうですね。自分が病名になるんですよね。

村上:うん。そうですね。診断名になってきちゃう。だから、これが両方起きちゃうんですよね。

増川:そうですね。だから、そうすると病気で友達関係がなくなって、周りが医療者や福祉の関係者だけになると、こういうことが起きますよね。同じようになってくる。

村上:同じように見えてくる。うん。ですよね。

増川:見えてくるし、自分も振る舞うようになるし。

村上:ですよね。

増川:これ、なんか大きいかなと思うんですよね。だから。

#ピアグループのエネルギー

村上:でも、今ちょっと思ったのは、だからピアグループって大事だったのかもしれないですね。ピアって、いったん自分が診断名とイコールにさせられてしまいそうになった人たちが、お互い集まったときには、もう診断名はどうでもよくなるわけで。

増川:そうなんですよね。

村上:ですよね。だからもう一回、名前を回復して、ピアでピアのエネルギーをもらってもう一回、名前を回復できるっていう。名前というか、一人一人の顔を回復できる場所かなって思いました。

増川:そうですね。僕は病気の話とか症状の話を、それまではその病気のことを分かってもらえたら人生が前に進むと思っていたので、とにかく病気を分かってほしくて、そのことばっかり話をしていたんだけれども、でも、同じような経験をした人たちでは、それ、一回、脇に置けますからね。

村上:だから。アグループっていうのは病名になっちゃった自分が、もう一回、顔を回復するというか、声を回復するというか。

増川:そうですね。病気を分かってほしいから、ちょっと離れることができて次にいけましたね。

村上:ええ。最初のそういうピアの経験っていうのは、いつ頃だったんですか。WRAPが最初なのかしら。もっと他のもあるのかな。

増川:一番、大きいのは近所に新しくできたクラブハウスモデルの施設に行ったときが大きくて。そのときに自分のことを話したんですよね。ちっちゃい頃こういうことあってとか。したら、「ああ、俺もそういうことあったから分かるよ」って言ってもらって。そうしたらそのことが「ここでは、それ、話さなくても大丈夫なんだ!」になったんですね。前は、まずそれを分かってもらわないと誤解されたりとか、行き違っていくから、まずはこれ、知ってくださいって、相手に伝えるんだけども、「それはちょっと理解できないね」って言われると、ますます「分かってよ」って。また「分かんない」って言われると、また「分かってよ」でやってたんですけども、それはもうすぐ「俺もそういうことあったからさ」って言われたら、それがもう終わって、すっと次の話題に行けたっていうのは大きかったんですね。

村上:なるほどね。今の大きいですね。その次の話題って何だったんですか。何を。今までこんなことがあったっていうのは、「それは俺もそうだ」で、その次のステップっていうのは何をお話、何が話題になるんですか、そこは。

増川:じゃあ、「今、何やろうか」ってなりましたね。「あ、分かってくれる人がいたんだ」って思ったら、「じゃあ、今、何やろうかね、俺ら」ってなって、ちょうどそれ11月の終わりで、クリスマス会をやろうっていうことになったんですね、その施設で。そんなん企画したりしていって。それまでは理解者がいないから進まない、進めないと思っていたんですよ。「だって、こんなに苦しいんだもん」っていう感じで。でも、そのことを理解してくれる人がいたら、もうそれ以上、説明しなくていいですからね。解説がいらなくなったっていうか。

村上:そうですね。

増川:そうですね。説明、解説がいらなくなったのは助かりましたね。

村上:今のねてるさんは、こうですね。だから、最初ライフストーリーを話したんだけど、でも、だから、もう共有されたから、2番目で。じゃあ、今からどうするっていうステップに行ったんですね。これ、すごい大事で。ですよね。例えば、トラウマの治療とかだと、ライフストーリーにむちゃくちゃこだわるんですよね。トラウマ系の治療はね。

増川:そうなんですよね。

村上:だから、自分の過去の傷つき体験を詳細に話すっていうことが治療だっていうように、もちろん昔のフロイトの時代からそうなっていて、今もそれがベースにあると思うんですけど。でも、それはまだスタートラインの前だってことですよね。

増川:はい。

村上:その先が実は問題だったっていうことですね。そのピアでできることっていうのは。

増川:はい。

村上:ですよね。じゃあ、『今から自分、俺、どうすんのって、どうなっていくの?』っていうそういう問いに先に向けるっていうことですよね。

増川:そうですね。そこに行けましたので。それがちょうど2005年の暮れだったんですよね。だから、これが16年前ってことですね。それの次の年ぐらいに、僕はリカバリーって言葉を知ったりとか、ピアサポートっていう言葉を知ったりしていったんですけども。多分15年ぐらい前は、そんな時代だったと思いますね。他のところを見ていても。

村上:じゃあ、もうそういう動きが出てきていてっていうことなんですね。

増川:そうですね。それから次の年か、その次の次の年ぐらいに、全国リカバリーフォーラムっていうのが開催されるようになったりとか。


#当事者とその先

増川:そうですね。外からの評価ではないところですよね。
そうですね。そうなると、冒頭の話と自分、つながってきたんですけども、「あなたが当事者です」って言われて、あなたがあなたの人生を生きるんですって言ってるものと、同時に見張られている感覚。これになんか板挟みになっていた気がしてきましたね。同時ぐらいに自分は生活保護になり、同じときに障害者手帳を取りだったんで、あなたが当事者なんですよっていうのと制度で常に見張られているっていうか。
この診断書が自分の社会の位置を決めていくとか。だから、例えば、症状が軽くなったときにショックを受けたりとか。等級が。「そんなわけないでしょう」って主治医に言ったり。「でもあなたは今、外に出れていますから」って言われて、「いや、苦しいんですよ」って。この常に見張られている感というの、本当に他者の評価が自分の社会の位置を決めていたので、そのことと「あなたが当事者なんですよ」っていう。これが多分なんか自分を分離させていくっていうか。やがて起きたのは。
精神保健のこの制度から出たら、誰も当事者だとは見ないので。結局、誰かに評価をされて精神障害者の認定されることによって、当事者としての人生があるみたいに、ここが分かったのはちょっと苦しかったですね。

村上:なるほど。

増川:2011年ぐらいですかね。それで2011年、2012年に生活保護を抜けようと思って抜けたんですけども。でも、それも怖かったですね。

村上:そうですよね。それは怖いと思う。それ、怖いですよね。

増川:他者の評価があることで収入のあったのが、今度、社会に出たら誰も自分を評価する人はいなくて。それはもしかしたら会社に入れば、査定で評価されてって、社会のキャリアを積んでいくことになるかと思うんですけども。そもそもそれがないし、一回、積み上げてきたキャリアは崩れているし。そうですね。制度の枠と、さっきのこれですね。監視、管理のことと、「私が当事者なんだ」っていうこれがないのは苦しかったような気がしますね。

村上:なるほど。それはそうですね。それ、苦しそうだな。

増川:はい。そうですね。ここから抜けたら、この当事者もなくなっちゃうんで。もう一回、社会に対して自分は何者かっていうのを示していかなきゃならなくて。

村上:どうなったんですか、そうしたとき、抜けたとき。当事者じゃなくなった?

増川:そうですね。当事者でなくなる感じはありましたね。でも、体の半分は精神保健のところに身を置きながらだったんですけども。どうしたかっていうと、自分はWRAPのワークショップとか始めていた頃でもあって、もっとファシリテーションを学びたいって思って。ファシリテーション協会に通ったりとか、あとU理論っていうものをやっている仲間たちと出会って、そのU理論のコミュニティーに入って、一緒に活動するようになっていくんですけども。その意味では少しずつ、いわゆるは精神保健じゃないところに、自分がアイデンティファイできるものを見つけていったのは良かったのかもしれないですね。それもなかったら、もうこれがなくなっていくので。そのU理論のコミュニティーの人たちは、誰も僕が患者だとは見ないし、誰かに紹介するときも、「ねてるは元患者で苦労してきたんだけれども、今はこうやって研修をやってるんだよ」って紹介をしてくれるようになって。その人たちは、「元患者」とはいうことはあるものの「今、患者」とは見ない。けれども、精神保険の世界にいると、常に患者として見られている感じはあって。これは難しかったです。でも、今でもそうですね。ピアサポーターですって言うときは、患者であるっていうことを中に含んでいる概念なので。

村上:そうか。そういう意味では当事者っていう言葉は、その両義性というか、あいまいさを常に持っている言葉でもありますね。自分自身が主人公なんだけど、とはいえそういう医療の監視をはらんでいる言葉になっているっていうことなんですかね。

増川:どうですかね。この影響をあの時期、受けたからですよね。この影響を、もしも受けていなかったとしたら。

村上:でも、多くの方が多分、今ねてるさんに共感してるんじゃないかなと思うんですよね。お聞きになってる方も。だから、同じように〔医療や福祉の〕制度を使われている方も聞かれている方の中に、きっといらっしゃるだろうなと思いますし。だから、そのつらさとか、なんかうまくいかない葛藤みたいなものが、きっとあるんでしょうね、それはね。

増川:そうですね。

#診断、当事者、その先

村上:だから、そこからねてるさんが抜けたときに今、僕、伺っていて思ったのは、足場が幾つか、複数できた。もっと言うと、居場所が複数、ねてるさんの中にできてきて、そうしたときに、もう患者ではないねてるさんとして暮らすことができるというか。のかなって聞こえてました。

増川:でも、足場っていうのはそうかもしれないですね。つまりどこに足場をかけていくかっていうのは。

村上:それ一つじゃない。しかもね。いくつかの場所でだったのかなって思いました。

増川:はい。そうですね。何を発見してきたんだろう。

村上:そうか。何を発見してきたか。だから1段階として当事者っていうのを発見したけれど、もしかしたらその次があるかもしれないっていうこと?

増川:そうかもしれないですね。

村上:次のステップがある?

増川:そうですね。そ精神科医療を、もう30年、40年ぐらい多分、受けてきてっていうか。
それは僕があまり人に言ってないですけど、ちっちゃい頃は小児てんかんの診断だったみたいで。物心ついたときは抗てんかん薬を飲んでいて。それを、親には「ぜんそくの薬だよ」って言われて飲んでいたんで、自分は病名を知らなかったんですよね。ただ、年に2回ずっと脳波検査があって、毎年。でも、それは僕はなんかぜんそくの検査だってずっと思い込んでいていたんですけども、高校卒業して1人で病院行って、「この薬なんですか」って聞いたら「抗てんかん薬です」って言われて。18歳ぐらいだったんですけども、びっくりしたんですけども。そこでいうと、それは40年――今47なんで――病名が伝えられない多分、時代があり、自分が19ぐらいになると病名も先生、教えてくれて。病気だって分かったら、自分自身とこの病気で起こされている混乱っていうのは、分けることができて。

村上:そうか。

増川:はい。なので、精神科医療で発見してきたものっていう〔初めのテーマについて〕の、僕が精神科医療で得てきたりしたこととしては、病名を言われないことで自分の世界を育てるこは、できたと思うんですよ、確かに。子どもの頃、てんかんだって言われたら、てんかんって何って子ども心に思って、そこで思考をセットして世界を決めていたと思うので。病名、子どもの頃、言われなくて良かったなって今、思うんですよね。制限しなかったから。
でも、どうにもできない今度は眠気とか変な夢、見るようになってからは、それ〔=診断名〕を教えてくれたから、自分と病を切り離すことができたっていうのが。

村上:確かに。

増川:90年代の医療だったと思うんですね。70年代、80年代は言わないことで僕を守ってくれていた。90年代は、言ってくれたから自分と〔病を〕分けられた。2000年代、僕が精神科医療からもらった利としては、「あなたが当事者ですよ」をもう一回、言ってくれたことかもしれないですね。

村上:だから、すごい複雑ですよね。最初が病名を言わないことで「ねてるさん自身」であれた。その次、病名を言われたことで自分と病気を分けられた。

増川:そうですね。

村上:1回、もう一回、調子が悪くなったとき、病名イコール自分になってしまった。診断が自分になってしまった。当事者の活動とWRAPの活動に出会って、別のものに分けられた。

増川:そうですね。

村上:だから人が、経験し得るもしかしたら全てのパターンを経験してるのかもしれない。

増川:精神科医療、そう考えると面白いですね。

村上:いや、面白いっていうか。ねてるさん、すごいなと思いましたけど。

増川:いや。面白い。そうですね。そう考えると結構、時代ありますね。病名、言わない時代。病名、言う時代。今度はあなたが語っていいよっていう時代。それぞれのところから、本当、恩恵を受けてきた気がしてきました。

#足場の複数性

村上:一番〔最初の質問〕、先ほど僕が足場が「いくつかできたと表現していましたが、一つではないことに意味がありますか?」というご質問。

増川:お願いします。

村上:僕、もし、可能であれば足場っていくつかあったほうが、より健康度が上がるのかもしれないなとはちょっと思います。1個しかないのって不安だし、つらいですよね。最近、よく熊谷晋一郎さんが、「自立とは依存先を増やすことだ」っていうふうにおっしゃっていますよね。あれ、素晴らしい言葉ですよね。依存する場所がいっぱいあるっていうことが、僕らが自立することっていうのは、本当にそのとおりだなと思うし。それは足場だったり、居場所っていうふうに言い換えてもいいのかなって思いますよね。だと思う。

増川:はい。僕もそれ、同感っすね。

村上:もちろん、だけど最初のステップとして、どこか足場が必要なので、最初、多分、いや、俺には一つしかないよっていう方もいらっしゃると思うんですけども。それをまた、そこをまず大事にして、その次、何かチャンスがあったときに見つけていけるといいですよね。

増川:そうですね。次の足場に行くのが自分はすごく怖かったりしましたね。なんで怖かったのかなって、ちょっと今すぐは分かんないですけども。そういう健康度の高い人は、複数の足場を持っている気がしますね。

村上:うん。そうかもしれない。いや、でも、今、僕、精神の世界の話とちょっとずれんですけども。例えば、ひきこもりのこととか、子どもの自殺だったりとかのことを考えると、みんな多くの子どもたちが足場がない。足場が要するに、居場所が学校しかなかったりすると、学校でちょっと何かあって、例えばいじめがあったりすると、どうにもならなくなってしまって、どこにも行けなくなってしまうって子どもたちって、すごく多いと思うんですよね。だから、そういう意味では確かに足場はたくさんあったほうがいいのかもしれないけども、一つしかなくてっていう場面っていうのは多いかもしれないですね。特に、僕らの日本の社会って、すごく単線的っていうのかな。ずっと学校に行って、ずっと会社に行ってって、そういう暮らし方を、社会全体がしていたと思うので。そうですね。
だからそれを、僕らは違うそうじゃない生き方っていうのを、見つけ始めてきた世代なのかもしれないですね。幾つかのコミュニティーに所属するっていうことの重要性っていうのを、もしかしたら本能的か分かんないけど、見つけつつある。みんなが。別に1人でじゃなくて、社会として見つけつつあるのかもしれないですよね。

増川:確かに、複数の居場所を持っていることが悪いことじゃなくなっていますよね。悪いっていうなんか、道徳的に悪くないっていうか。

村上:ですよね。

増川:以前だと幾つかのコミュニティーに参加していることは、もしかしたら悪いことだったかもしれないですね。

村上:そうだった気がします。

増川:A組合とB組合、両方いるとか、悪いことだったかもしれないですね。

村上:だって、ずっと会社にいろって言われるわけだから。僕ら。

増川:そうですよね。

村上:ですよね。あるいは学校でも部活、一つ、この野球部だけずっとやれっていうことになっちゃうっていう子どもたちはすごく多いわけですからね。

増川:そうなんですよね。

村上:そこはだから、僕らがそういうなんか柔軟な場所っていうのが発見されたのが、そうか。今回のテーマにつながりましたね。「精神科医療が発見したもの」ですね。だったかもしれないですね。

増川:そうですね。そこで発見してきたのかもしれないですね。そうか。社会としても、複数の足場なり居場所なりを持っていいよって。

村上:見つけた。

増川:見つけた世代。

村上:ですよね。かもしれない。

#精神科医療の今後

増川:それ〔足場が増えたこと〕と並行しているんですかね。その精神科医療が。

村上:それはそんな気がする。だって、どんどん柔軟になることを良しとしているのは事実だと思うんですよね。

増川:そうですね。病院、退院していいよって言っているんですもんね。

村上:そう。まさにそうですよね。

増川:そうですね。ただ、薬だけは飲みなさいねって言っている気もするんですよね。日本の精神科医療は。

村上:そうね。確かにね。どうなんですかね。これね。〔病院主催の対談なので〕言いづらいっていうか(笑)。どうなんですかね。でも、薬を減らそうっていうふうにいう動きは増えて。

増川:いますね。

村上:増えてはいる。いろんなところで、しかも出てきている気がしますね。

増川:そうですね。あれ、もしかしたらそれでも、病院には通いなさいねはあるような気がするんですよね。

村上:そうね。確かに。それはどうなんだろう。

増川:病院に通わなくてもいいですよっていうことを、精神科医療は言い始めるんですかね。この先ですけども。

村上:サービスの形は変わってくる可能性はありますよね。いや、困っている人はずっといるじゃないですか。精神的に困る人っていうのは、減ることはおそらくないじゃないですか、この社会で。だから何かサポートが必要なのは間違いないけれど。そのサポートのあり方は、かつてのような病院の姿ではない可能性はありますよね。

増川:つまり収容ではないって感じですかね。

村上:そう。必要なことのニーズに合わせていったときに、それが病院という形をとる必要があるかどうかは、ちょっとよく分からないですよ。

増川:そうですね。

村上:それはあるのかもしれない。病院の学会でこういうこと言うのどうかなと思うんですけど。ただ、地域のニーズは絶対、なくならないですね。訪問看護とかは。それは間違いないです。

増川:そうですね。〔ZOOMの〕チャットにいただきました。メッセージが出てきましたね。

村上:なるほど。〔コメントを読み上げる〕「病院に通うことは、ちょっとした安心感になるのではないかなと思ったりします」。
その機能、安心感をどうやってつくるかって、すごく大事なので。

増川:そこかもしれないですね。

村上:そう。それは大事。

増川:安心感は必要なんですよね。

村上:安心感は絶対、必要。だから監視じゃまずいけど、安心感は必要。それ、紙一重なんだけど。

増川:そうですね。PCR検査とか受けに行きましたもんね。で安心、欲しいですよね。

村上:安心は欲しい。それは全員そうですよ。もう間違いなく。これは、もう100パーセント人間である限り安心は欲しいよね。

増川:だから、いわゆるその自己開示っていうのは、弱さを言って大丈夫であったことで安心感ですよね。

村上:そうですよね。それを受け入れてもらえるっていうことが大事なので。

増川:はい。

村上:ですよね。だから今の段階では、病院はその機能をはたしているっていうのは、それはもう間違いないだろうなって思います。

増川:うん。この安心して行ける精神科病院があったら、やっぱりいいかもしない。最近、聞いた話だと病名をつけてくれって言って、やってくる若者たちが増えてきてるって。

村上:それ、聞きますよね。

増川:聞きます?

村上:聞きますよね。僕の学生にもいます。

増川:そうですか。

村上:診断名ついて安心したって。

増川:そう。僕もそうだな。

村上:でも、僕がその人に言っているのは、「いや、それも違うかもしれないから、次のこと考えて」って伝えてます。「僕、君のことそういうふうに思ったことないから、ちょっと別のこと考えよう」ってずっと言っています。

増川:そうなんですね。

村上:多分、だから、そのステップがあるんだろうなって。もちろん僕、学生相手なんで若いから、どんどん変わっていく時期だっていうのあるんですけどね。

増川:その安心を得るための装置はどこにあるんですかね。

村上:でも、それ、さっきのところに戻るんじゃないですか。足場。足場をどこに置く。

増川:自分の足場ですね。

村上:うん。足場をどこに見つけられるかどうかなんだと思うんですね。自分がそこにいて大丈夫な場所って、つくれるかどうかじゃないですか。それこそ精神科でいうと、例えばデイケアだったりとか、就労支援B型だったりとかって、そういう場所としてつくられているわけですよね。きっとね。

増川:そうですね。それこそ、自分もまだ20代の頃、サラリーマンとか、いろんな仕事をする中で、日々のストレスに耐え切れなくなって、精神科の病院に入院するんですけども病院に入院すると安心しましたね。それでも、さっき村上さんが言っていた競争の時代だった僕らの時代だけれども、そこ〔ピアのグループ〕には競争がなかったりとか、ちょっと安心したし、自分と同じような病と言っていいのか分からないんだけど、その弱さっていうか、それを持った人たちがいるんだっていうのでも安心していたし。それをなんか競争の中でうまくやれない自分を、支えてくれる人がいるんだなっていう安心しましたね。社会にそれがあるっていう感覚で。

#拘束について

村上:確かに。だから、精神科病院の場合には、その機能は絶対ありますよね。多くの国でどんどん地域化して、入院の日数は海外はもっと短くなっていますけど。でも、そういうレスパイトとしての入院を確保しているところはほとんどですよね。あと、今のねてるさんのお話で思い出したのは、ちょっとつい2、3日前に〔都立〕松沢病院の新しく出た本を読み終わって、『「身体拘束最小化」を実現した松沢病院の方法とプロセスを全公開』っていうタイトルなんですけども。まさにさっきの監視の極端な姿ですよね。拘束するって。ミトンをはめるとか。拘束を減らしていくときに、あそこで斎藤院長が書いてたのは、「拘束を減らすことが目的なんじゃなくて、安心して患者さんがちょっと休むために入院してもらって、またすぐ良くなって社会に戻っていける。そういう病院にしたい。だから、拘束をなくさなきゃいけないんだ」、って。だから、さっきの監視の話と結びついていて、監視を、紙一重なんだけども、やっぱり違うんです。監視や拘束は除いていかなきゃいけなくて。安心の場所として病院をどうやってつくっていくかっていうのが、その松沢病院の問いでしたね。

増川:いい問いですね。自分はリタリンで暴れていた頃があって。その頃、1人でリタリン抜こうとしていたんだけれども。でも、限界がやってきて、「お願いだから入院させてくれ」って主治医にお願いして、入院していくんですけども。そしたら、もう看護師さんが「縛っていいですか」って言うんですよ。「ぜひお願いします」って言って望んで縛られたんだけれども。勝手に暴れちゃうから、自分が。縛られている中で、また同じ病室の人が結構いろんな、うるさかったんですよ。宇宙人が何とかとか言っていて、そうすると、またその刺激で自分は暴れだすので。それで、拘束を外してくれって今度は僕も言うようになって。こんなところ安全じゃないからって。僕は縛ってほしかった。縛って自分が暴れるのを止めてほしかったんですね。家で1人でいるとリタリンでおかしくなって、ベランダから飛び降りるっていうことをする。そんな感じだったんで、1人の部屋でも自分で針金でなんか縛っていたんですよ。

村上:へえ。すげえ。

増川:自分で、こう、縛るもんで、痛いんですよ。病院でプロの人が縛ってくれるのは、なんていいんだろうかと思って(笑)。

村上:それ、主旨が違うけど(笑)

増川:「場所を動かしてくれ」って言って暴れて。そんな本当、思ったの、一番、安全な場所はナースステーションだと思って、夜中、ナースステーションの近くに行って、「助けてください」って言って。でも「何もできません」ってまた食堂で暴れたりとかしていたんですけども。だから僕、拘束はなんかプロの人が静かな場所で縛ってくれたら、なんていいんだろうと思って。それはかなわなかったんですよね。
結局また暴れて退院して、1人の部屋でまた自分で縛る生活になっていくんですけども。

村上:そのとき、ねてるさんにとって安心ってどこにあったんだろう。

増川:自分で自分を殺さないっていうのがほしかったんですよ。頭がおかしくなると、痛み刺激でしか自分をつなぎとめられないし、おかしくなると飛びたくなったりとか、そんな感じになっているので、もう自分が自分を殺さないにはどうしたらいいだろうかと思っていて。自分で動かなくなることが一番いいので。

村上:なるほど。それすごいな。それ、今の難しいですね(笑)。

増川:だから、プロがすげえうまい具合に縛ってくれていたら、きっとそれこそ。

村上:いいのかな。

増川:分かんないですけどね。自分をなんか痛めつけたくなかったんですよね。でも、薬、切れるとどうにもならなくなっちゃって。

#安心して通える病院

村上:ちょっと、もう一個〔チャットで質問が〕きましたね。

増川:質問、ありましたね。

村上:「安心して通える病院ってどんな病院でしょうか。」どんな病院ですか。

増川:僕は話聴いてくれる人がいる病院ですかね。

村上:だそうです。

増川:逆に、なので、最初に入院のときの看護師さん、すごい良かったんですよ。大学生だったけれども、「夢は何?」って聞いてくれて。「なんで東京、出てきたの?」って聞いてくれて。それで「僕は作家になりたいんです」って言ったら、「応援する」って言ってくれて。しかも、なんかその人も本が好きだって言っていて、作家、誰が好きっていう話になって。島田雅彦が好きなんですよねって言って。当時も島田雅彦の時代だったんですよ。

村上:懐かしいですね。そうだ。

増川:はい。慶應の文学部だったんですけども。生協で島田、買ったりして読んでいて、その看護師さんも「読み終わったのあるから、持ってきてあげる」って言ってくれて。「ほかの人には内緒ね」って言って、本、プレゼントしてくれて。

村上:へえ。いいですね。

増川:最初に病院でのいい体験でした。苦しみの中で夢を応援してくれる人に出会ったっていう体験。

村上:ですよね。しかも今のお話のどこにも病気の話、出てきてない。

増川:出てこないですね。

村上:いいですよね。

増川:むしろ、詩人で、ネルヴァルとか好きだったから。

村上:ネルヴァル、はい。マニアック(笑)。どこまで聞いていいのか、よく分かんないけど、島田雅彦といい、ネルヴァルといい。

#病院は卒業する場所であり、休みに帰ってこれる場所

村上:どうですか。これ。
〔チャットの質問を読み上げる〕「病院も医者も薬も足場、依存先の一つかも」。
もちろんそうだと思うんですよね。それは、どういうふうにオーガナイズしていってっていうことなんでしょうね。だから、あくまで足場であって、主役は患者さん本人なんで。だろうなって思いますよね。

増川:あと、やっぱり足場なので。いつかは卒業するんだっていう前提があったほうがいいような気がしますね。特に医療や福祉。

村上:そうですよね。それはほんとそう思います。

増川:そうですね。それこそ、良くしてくれた看護師さんに、多分、手紙を書いて僕は退院するんだけども、返事があるかな、ないかなとか思うものの、あれは返事がなくて良かったような気がしていて。つまり、病棟は多分ずっといる場所ではないんですよね。その看護師さんとも別にプライベートな関係になるわけではないので。〔…〕

村上:だから、その看護師さんがされたその小説のプレゼントは、最高の薬ですよね、だから。

増川:最高の薬ですね。それ、本当に夢を応援してもらいましたもんね。

村上:ええ。いや、そう思いました。

増川:でも、依存し続ける対象にならなくて良かったなとも思うんですね。

村上:難しいですね。なんか今、僕、相反することを思っていて。卒業しなきゃいけないんだけども、いつでも帰ってきても大丈夫でもありますよね。

増川:あります。

村上:いつ来てもいいよって場所でもあるんですよね。

増川:そうですね。それ、難しいですね。

村上:でも、卒業していったほうがいいなとも思うし。

増川:これは難しいですね。それこそ生活保護を抜けるときに、いつかなんかあったら、またセーフティーネットって思えたのは良かったかもしれないし。

村上:まさに、そうじゃなきゃセーフティーネットじゃないから。

増川:そうですね。

村上:いつでも帰ってこれるところじゃなかったら。僕らそういう場所って、すごい少ないんですよね。いつでも帰ってこれる場所って、すごく少ないから、今の日本だと。だから、それはあるかないかって大きいですよね。
僕、今、自分の調査では、西成って大阪の貧困地区で調査しているんですけど。そこで時々びっくりするのは、例えば保育園とかに20歳、過ぎた男の子がやってきたりするんですね、ふらっと。子どもの里って遊び場も子どものための遊び場なんですけど、そこへ行っても、もう成人した人たちがふらっとやってくるんですよね。それってだから、いつ帰ってきてもいいってことなんですね。保育園にヤンキー上がりが、もう大人になった、成人になった人が戻ってきて、なんかだべって帰っていくって、それってすごい光景だと思うんですよね。そういう場所って必要なんだけど、なんか得難いですよね。

増川:得難いですね。

村上:だから、そういう意味では病院って、そういう場所であり続けることは可能なのかなとはおもってます。

増川:そうですね。

#腹八分目の医療

村上:もう一個、コメントいただいています。「医療も人との関係と同じで、腹八分目ぐらいの関係でいられたらいいのではないでしょうか」。腹八分目の医療。これ、なんかキャッチーですね。腹八分目の医療って。なかなか。そうですね。どうなんですかね、確かに。

増川:そうですね。でも遊びの部分があるっていうか、いいような気がしますね。完全にはまると、そこから動けなくなるっていうか。

村上:確かに。全部つながっていますよ。さっきからその足場がたくさんあるっていうこととつながると思うし。腹八分目って。要するに、一つのところにどっぷり依存するわけじゃないっていうことだと思うから。

増川:そうですね。

村上:なるほど。

増川:きょうのテーマである精神科医療が発見しているもの。発見しているものっていうか、何を発見しようとしてきたのかっていうふうに見ると、安心なんですかね。精神科医療は。

村上:安心自体は昔から提供しようとしていたのかなとも思うんですけどね。どうなんですかね。

増川:そうですね。安心を提供しようとしていたのかな。そんな感じで思い始めて。

村上:安心は提供していますよね。それは古来、昔からそうだったような気もしなくはないけど。

増川:そうですね。

村上:どちらかというと、この腹八分目の辺りは新しいのかもしれないなと思いますけど。

増川:逆。なるほど。つまり、なんか隔離、収容ではなくて、腹八分目。

村上:ええ。隔離収容じゃもう、しかも30年とか40年とか入院している方いるから、それ、全然、腹八分目じゃないじゃないですか。

増川:おなかいっぱい。そうすると、今は腹八分目の安心感を提供しようとしているんですかね。

#当事者からただの人になる

村上:それ、いいですね。きょうのまとめ。腹八分目の安心感。それはでも、そうかもしれない。それ、大事ですよね。ちょっと不安を必要なのかもしれないですしね。その次、どうしようって。これからどうしようって。その部分ですよね。俺、次、どうしようっていうのは、その次へ向かう原動力でもあるから。

増川:そうですね。病院以外のところで安心できる場所が見つかったら、その精神疾患を持っている人も開放される感じがやっぱりしていて。

村上:それはそうですね。

増川:ちょっと前にあった当事者の次の世界観は何かっていうと、当事者を捨てると何が出てきたかっていうと。ただの人だったっていうことですね。

村上:それ、いいですね。

増川:そんな気がしてきますね。

村上:それ、むちゃくちゃかっこいい。

増川:そうですか。

村上:ただの人になる。

増川:その病気にこだわってた時期もあるし。いや、病気、一回、脇に置いたけど、自分が人生の主人公なんだって言ってたときもあるけれども。よく考えてみるとただの人だったっていう。

村上:いや、今のぐっときますね。

増川:そうですかね。

村上:ええ。いや、本当。

増川:ただの人である僕は、安心できる場所、あるいは、その足場はどこかには必要で。それが今、もしかしたら、この村上先生との間にも安心感はすごい感じていて。多分、ここの間に今、安心感があるので、僕は他のところっていうか、多分、医療機関の中に安心感を求めなくなったのかもしれないですね。ここが不安だになっていたら、どっかに安心がほしくなるので。だから精神科、本当、振り返ってみると病名、告知されなかったときも大事なものをもらった気がするし、病名を教えてもらったときも、クラブハウスで自分で語っていいよって言われて、いろんなのを教えてもらって結局は安心感を求めていて。

村上:そうか。とすると、だから精神科医療の求められていることっていうのは、そういう安心感を社会の中で得られなくなってしまう人って、もちろんいらっしゃって、その人たちのための最後のよりどころには、もちろんなり得るっていうこと。

増川:なり得ると思いますね。

村上:なり得るっていうことですね。

増川:やがて、そこで培った安心感を育む技術とかを、患者っていうか、本人に返してもらえたら、ここでそれが使えますからね。 安心感の育み方なんて教えてくれた人はいなかったですもんね。学校でも。

村上:教えてくれない。教え方なのかよく分かんないけど。

増川:ですよね。

村上:分かんないっていうか、でもWRAPってそうじゃないですか、WRAPってある意味そうで。

増川:それはあると思いますね。

村上:ありますよね。

増川:あると思います。だから、WRAPにもすごいやっぱ教えてもらってますね。

PAGETOP

〒569-0818大阪府高槻市桜ケ丘南町23-5 桜ケ丘医療ビル2階

事業所・アクセス

医療法人光愛会におけるソーシャル
メディア利用のガイドライン

©訪問看護ステーション アユース

24時間365日対応可能

  • 訪問看護ステーション
    アユース高槻
    072-695-7910
  • 訪問看護ステーション
    アユース枚方
    072-807-7682
  • 訪問看護ステーション
    アユース森ノ宮
    06-4303-3251
  • 訪問看護ステーション
    アユース吹田
    06-6317-7878
  • 訪問看護ステーション
    アユース緑地公園
    06-6339-7707

大阪の、うつ病・認知症などの精神科訪問看護は訪問看護経験が豊富なスタッフが多数在籍するアユースにご相談ください。

©訪問看護ステーション アユース